第10

傲慢の誘惑

 前章に云うた誘惑は、悪魔が世界の高位、財産、快楽等の誘引を以て差し出す誘惑であるが、今は傲慢、自負、虚栄等について一言云わねばならぬ。この三個の悪徳は、多く知れずして、また重く神に背く故、別して恐るべきものである。

 嗚呼、幾千の神の忠僕や勇々しき兵士が、数年来数多の勝利を得たるに、傲慢に負けて悪魔の奴隷となった。

 この恐ろしき試し、この隠れたる罠を逃れる道は、常に恐れると云う事である。恐れて慄きながら、善を行うべき事である。これ即ち自愛、及び傲慢の隠れたる虫が、その善事に付かない為、また腐敗して神の聖前に否むべきものとならざる為である。

 これによって善を行いながら、何時も謙らねばならぬ。また何時もなお善くするように、努めねばならぬのである。あたかも未だ如何なる善事をも行わざる如く、またたとえ最早力の及ぶだけ尽くしたと敢えて信ずる事があるとも、なお心の底より自白して、我等は実に無用の下僕に過ぎぬと云う筈である。

 しかしながら、何よりも前にすべき事は、しばしばイエズス・キリストに依頼し、その聖寵の助力を与えられて、傲慢を防ぎ、心の謙遜に成るように教えられんことを願わねばならぬ。またしばしば最も謙遜な天主の聖母に依頼して、我等に謙遜の徳を求めることを祈るがよい。謙遜は取りも直さず、他の凡ての徳の基礎であって、これらを発達せしめ、またよく保存して失せないようにするのみならず、却ってなお深く根ざすようにして、一層強くならしむるものである。

 既にこの重大なる問題は、心戦について長たらしく論じたから、ここにはこれを加えただけで止めて置く。

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