第34

神に背きしを現に悔む事を覚えて改心の恵みを求むる法

 既に犯した罪を実際に悔む事を覚えるようにする最も良き方法は、神の広大にまします事を黙想し、またしばしば証明し給うた善良と愛憐[あわれみ]とを黙想する事である。何故なれば、罪を以て背かれ給える神の徳を考え、また神は最上の善にして、得も云われぬ善良なるもの、善にあらざれば為し給わず、今まで善の外に為し給うたこともなく、今も日々に善を為し、友の上にも敵の上にもその恵みを注ぎ、その光明を照らし給う事を思い出し、斯く善良なる神に、我等が理由もなく出来心によって、無駄な無実な楽しみを得んが為に、背き奉りし事を覚えて、この観念に心を止むれば、如何にしても涙に沈まずにはおられぬものである。

 然れば十字架の下にひれ伏して、我等に向って語り給うイエズス・キリストの御声を聞かねばならぬ。即ちこう仰せられる、「我を眺めよ。体中に負うところの傷を一々見よ。この傷を付けしものは汝の罪にして、その罪のために我れは斯くの如く酷い目に遇わされたり。しかしながら我れは汝の神、汝の造り主、汝の愛深き救い主、且つ汝の慈悲に満てる父ならずや。然らば立ち帰りて我れに来たれ。汝の過失を嘆き、我れに背きし(事への)真[まこと]の痛悔を起して、以後は再び罪に陥るよりは、むしろ如何なる苦しみをも受けんと、真心を以て決心し、我れに帰れ。我れは汝の贖い主なり」と。

 次にイエズス・キリストを追懐し、茨を被られたるその頭、葦を握らせられたるその手、傷だらけになりたるその体を見て、こう云われるを聞けよ、「見よ、人を。見よ、得も云われぬ慈しみを以て汝を愛したる人を。その弄ばれたる嘲笑、その受けたる無数の傷、その流したる血は、これぞ汝の贖いの価なり。見よ、人を。斯くまで愛を示され、斯くまで数々の恩を受けたるにも拘らず、厚かましくも汝の背きたる人を。見よ、人を。この人は神の憐れみにして、これの贖いは豊かである。見よ、時々刻々に我が身を、その凡ての勲功と共に、汝の為父に献げる人を。見よ、天の父の右に座し、汝の為に請願して、汝の取次ぎたる人を。嗚呼、何故に斯くまで我れに背くや。何故に我れに帰らざるや。我れに帰れ。我れは雲を散らす如く、汝の不義を悉く払い清めたり」と。

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