第38

安心を得るための二つの規則

 今まで述べてきたことに己が行状を従わせる人々は、充分安心を得るに足ると雖も、この最終の章に当り、なお二つの規則を示さんとす。もしよくこれを守るならば、この邪な世に於て得られるだけの安和を心に得るには奇妙に益するであろう。

 第一の規則は、不断[たえず]注意して、起るところの種々の望み、心の門を閉じることである。望みと云うものは、元来十字架となるべき材木のようなもので、結ぶところの果[み]は、不安心と云うものである。而してその望みの性質により、また激しさに応じて、一層重くなるのである。この望みの多きに従って、十字架も多くなり、これを組み立てるところの材木は夥しくなる。それに望みを遂ぐるに反するところの困難及び邪魔は、あたかも十字架の腕をなす横木の如くなって、己が望みに身を委ねる憐れなる人は、これに磔られるのである。

 然らば斯くの如き十字架を好かぬ人は、先ずその望みを打ち棄て、もしこれに磔られたならば、これを脱して、十字架より降りるようにするがよい。重ねてこれを言えば、十字架を組み立てる望みがなくなると同時に、十字架もなくなるのである。これを避けるには、別に方法がない。

 第二の規則は、敵の悪しき挙動に遇い、また侮辱を受けた時には、これに心を止めずして、これを受けた種々の場合について、思いを巡らすな。例えば、我れを害した人々の無理なこと、またその人々が如何なるものであるか、自ら如何に思うているかと云う事を、考えるな。斯かる考えは我等の心の中に、憤怒や軽蔑や憎しみの感じを起すのみ。

 斯かる場合に於ては、神の方へ早く駆け込み、専らその掟の事を思い、これに離れざるよう、如何に為すべきかを、考えねばならぬ。これぞ徳を保ち安和を再び得るの道である。

 もし人に対して為すべき事を自ら拒むならば、人々が我等に対して致すべき事を欠くのは決して怪しむに足らぬ。

 もし我等に害を為した人々に対して復讐するのを快しと思わば、先ず前に己れに復讐せよ。何故なれば、己れに対して害を謀る敵は決して己れより勝ったものではないのであるから。

(心戦付録終)

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