1977年4月25日(後半)
E = エクソシスト
B = ベルゼブブ
秘跡の執行における儀式の完全性
E: …の聖名によりて!我々にもっと語れ! 司祭は諸々の秘跡を執り行なう際に古い儀式を用いてもよいのか、用いるべきなのか、用いる権利があるのか? 真理を、ただ真理だけを語れ!
B: 完全なそして省略されない古い儀式、それが司祭が用いるべきものである。新しい儀式は我々の(と下の方を指す)、そしてフリーメイソンの発明である。フリーメイソンは枢機卿達を、そして時には教皇をさえ、操ることに成功してきたのだ。教皇はそのことに直ぐには充分に気が付かなかったのだ。変えられてしまったすべての秘跡には、そのような裏切りがあったのだ。それは我々の計画の結果であり、病者の(塗油の)秘跡についてさえそうである。
病者の(塗油の)秘跡
B: 我々は、相当する言葉、例えば、『あなたが聴覚を通して犯したすべての罪を天主が赦したまわんことを!』が言われる間に、聖香油で、五つの感覚器官が塗油されることをもう望まなくなったのだ。特別の注意が耳、目、口、鼻ならびに手に注がれた。……我々はそれをもう望まなくなったのだ。それは重病人や死んで行く者に対して非常に多くのお恵みを得させるものだったのだが。我々は考えたのだが、もし我々が……しかし、そのことは言いたくない。
E: 至聖なる三位一体の……いと祝せられた乙女の聖名によりて……我々に真実を語れ!
B: 我々はこう考えたのだ。もし我々が枢機卿達を、そしてローマにいる枢機卿達を、ただ手(そして額)だけが聖香油で塗油される、あるいはもっとよいことは、聖香油が用いられることすら、もはや全然なくなるという点まで導くことができたなら、その時、我々は大勝利をしたことになるだろう、と。司祭が事を表面的に行なえば行なうほど、死に行く者によって受け取られる恩寵はそれだけ少なくなるのだ。そしてその時、おそらく我々はその人間の着物の裾をひっつかんで、地獄の底へ引き摺りおろすことができるだろう。これが我々が考えたことであり、これが我々が事をこのように計画し、準備した理由だ。私が言っていることはフリーメイソンと共謀してのことだ。[59]
私は上のあそこからの「小さな祝福」がなお存在すると言わなければならない。そこにはまだ「小さな祝福」が残っている。しかし基本的には、それにも拘わらず、上のあそこ〔上を指差す〕にいる者らにとって、物事が適切に為された場合よりは遥かに大きな損失があるのだ。
今、このことを繰り返すことが私にとっては必要である。五つの感覚器官は、すべて完全にかつ充分に塗油されなければならない。親族がベッドのまわりに跪くべきである。そしてあらゆることが司祭の為に準備されているべきである。水、幸福な死の為の十字架、聖水 [60] 、きれいに整えられた五つの小さな綿の玉がなければならない。列席している者はすべて死に行く者の為に祈らなければならない。そのようにしたなら、我々は、その死に行く者の方角を見失わせ、彼がもはや悔い改めの行ないをすることができない段階へ彼を連れて行く為の力と強さを、それほど持たない。このことは、恩寵の状態にいない人の場合に(我々悪霊にとって)特に価値のあることだ。しかし、もし死に行く者が、その五つの感覚器官を塗油されるならば、もし次のような言葉、「あなたが目で犯した罪」あるいは「あなたが聞くことによって犯した罪」あるいは「あなたが口を通して犯した罪」[61] 等々の言葉が言われるならば、もし、相当する身体の部分が名指しされて塗油されるならば、その時死に行く者にとっては多くの遥かに大きな恩寵があるだろう [62] 。大罪の状態にある人々でさえ、そのことを通して救われることがあり得るのだ。... 我々がこのことを言わなければならなかったということを考えよ!
E: …の聖名によりて! 祝せられた乙女に代わってまだ他に何か言わねばならないことがあるか? しかし、ただ真実のみを!
堅信の秘跡
B: そして、堅信... これがもう一つの特別の章だ。しかし我々はそれについて話したくない!
E: いと至聖三位の聖名によりて、天が望まれることを言え! 真実を語り、お前が言わなければならないことを言え!
B: それこそ我々が望んだことだ。話すことを余儀なくされることが! あの老いぼれ(ルシファー)がまた激怒し始めている。彼は「お前たちはミミズだ。まったく馬鹿だ。口を閉じていることができないのか」と言いながら、まわりを踊り始めようとしている。しかし偉大な婦人〔上を指差す〕が我々を強制する... 彼女が我々を強制する... あの老いぼれだってそのことはよく分かっているくせに、それでいて彼は全く逆上するのだ! 彼は我々を苦しめる。
E: 乙女マリアの聖名によりて!
B:(祓魔師の方に向かって)我々はお前たちを見ることができない。端に大きな十字架の付いた大きなロザリオを持ったお前たちを。晴れの日も、またどんな天候の日にも、お前たちが輝かしているあれである。我々はそれを見ることができない。お前たちのうちの誰かが、その冠(ロザリオ)の付いた僧服を着て居る時、その端から輝く十字架がぶらさがっている時、我々は見ることができない。我々はそのようなものを憎悪する。そのようなものを憎悪する。
E: …の聖名によりて!
B: ああ! 堅信! 堅信! ... この忌わしい堅信。それは一つの特別の章をなすだろう。しかし、我々は今、それについて話したくない。
E: では、最も重要なことだけを言え。…の聖名によりて、祝せられた乙女がお前に言うことをお命じになったことを、そして我々にとってより緊急なことを言え!
B: お前たちはもう一度「聖霊来たり給え、御身の聖寵もて我等を照らし給え。我等を強め給え」と言わなければならない。その為にお前たちは跪かなければならない。さもなければ我々は堅信について語ることを余儀なくされることはないだろう。そしてお前たちが真先にしなければならないことは、聖霊に対して賛美の歌を歌うことである。そのように上のあそこに居る女性、あの偉大な婦人が言っている。今がその時だろう。
〔一同聖歌を歌う〕
E: 聖霊来たり給え、我等を照らし、強め、導き給え。我が魂の魂、我に御身を理解せしめ給え。
B: かの偉大な婦人は、また聖霊を称えて(ロザリオ)一連を唱えることを望んでおられる。そこにはより多くの啓示があるだろう。我々は全然何もしないことの方を選ぶだろうが、不幸なことに、より多くの啓示があるだろう。
(栄えの玄義の第三玄義・使徒達への聖霊の降臨が唱えられる)
B:(遮って)そして次に、聖母マリアの七つの御悲しみを称えて『めでたし、マリア』を七回、『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな』を三回唱え、そして聖歌『我が洗礼の誓約の堅固ならんことを』を歌おう。そしてもし可能ならば、すべての節を……
かの偉大な婦人がお望みにならないことがあろうか! あの御方がお望みになっていることを得る為に、頭の中に持っておられないことがあろうか!(いらだってぶつぶつ言う)
(ロザリオの一連を唱えている間、『めでたし、……マリア、御身は……祝せられ……』の時、ベルゼブブが叫び声を上げる。「祝せられていない! 彼女が祝せられていなかったらなあ!」……『我等に聖霊を送り給うた方』の時、ベルゼブブは言葉を差し挟んだ。「あの御方が聖霊をお送りにならなかったならなあ!」ベルゼブブはいらだってしばしばぶつぶつ言う騒音を出すのを聞かれている。)
E: 聖名によりて、話せ!
B: 我々は何も言いたくない。
(祓魔師の方を向いて)どこか他のところへ行ってしまえ! お前らはズボンをはいた三匹の畜生(三人の司祭)だ。ズボンをはいた三匹の畜生、それがお前連だ!
E: 至聖三位の聖名によりて……言え……!
B:(一人の司祭の方を向いて)そしてしょっちゅう十字架の印をしている奴、あそこの隅で、あらゆるところに十字架の印をする奴、そしてもっと多くの十字架の印をする奴。十字架の印は我々を真二つにしてしまうと言ってもよいくらいだ!(と溜息をつく)私はこれらの十字架の印が大嫌いだ。そ奴は家に残っていた方がずっとよかったのに。奴はまたどうして今日もここへ、ノコノコと這いずり出て来たのか?
E: …の聖名によりて!今言わなければならないことを言え!
B: ああ! 堅信!……
E: 聖母マリアの汚れなき御心がお前に命ずる。お前は従わなければならない!
B: 堅信は本来あるべきようには、もはや執り行なわれていない。少なくともどこにおいてもそうであるわけではない。まず真先に、聖母マリアは私にこう言わせられる。「志願者が堅信を受けようと望む時、まず第一に、数週間、彼はその為によく準備すべきである。彼は聖霊に対して、多くの聖寵を求めながら、常に繰り返し祈るべきである。もしこのことが為されないならば、彼が受けるべき聖寵は多くあるのに、彼はそれを受けないことになる。
もし彼が祈らず、大抵の場合にそうであるように、堅信についてただ表面的な教えだけを受け、次に、教会へ駆けて行き、教会の座席で跪き、それから、司教に軽く肩を打ってもらって、多くを考えずに、帰宅するならば……その時、そこには得られるべき聖寵はほとんど何もないであろう。その時、それはあるべき真のキリストの兵士を作らない」。
E: そのすべてを考慮しても、そこにはぬぐえない印(消すことのできない刻印)がなお存在するのか?
B: もちろん、そこには、なおぬぐえない印が存在する。しかし、堅信は正しく行なわれなければならない。
E: 現在の儀式で堅信は正しく為されているか?
B: それはもはやいたるところで適切に行なわれているとは言えないが、しかし、大抵の場合はそうだ。本質的な部分は志願者の心の中で起こる事柄である。彼は、私が言ったように、非常によく準備すべきである。彼は数週間準備し、聖霊とあの上におられるかの偉大な婦人そして天〔上を指差す〕におられる方々に乞い求めるべきである。志願者は、真のよきキリストの兵士となれるよう、自分の為に祈ってくださるように、その方々に乞うべきである。
E: 彼はまた煉獄の霊魂にも祈るべきか?
B: 煉獄の霊魂にも祈ってもよい。煉獄の霊魂は彼らの為に祈る人にもっと多くのものを与えるのだ。そのとき煉獄の霊魂はもっとよい状態にあり、そして彼らは積極的に介入する。我々はすべての煉獄の霊魂に祈ってもよい。告解についても同様である。我々はすべての天、すべての聖人、すべての福者、煉獄のすべての霊魂そして聖なる天使のすべての合唱隊にいつも祈願すべきである。
守護の天使
E: 守護の天使は?
B: 彼らは皆一緒におられる。もちろん、自分の守護の天使には特に祈願すベきである。あるいは、数位の天使を持っている者は彼ら全部に祈願すべきである。お前達司祭は特に守護の天使を一位以上持っている。お前達のうちには二位あるいは三位の守護の天使を持っている者がいる。……お前達が天使達の仕事に、彼らが果さなければならない責任に応じて、係り合いになるとよいのに……しかしまた……我々はこれ以上話したくない。
E: …の聖名によりて!
B: しかし、大抵の場合、司祭達の残りの者は同様にまたその司祭叙階の際に二番目の守護の天使を受ける。…もし彼らが、一位の偉大で有能な天使が充分であるときに、ただ一つの非常に制限された責任しか持たないとすれば…。しかし、大抵の場合、司祭達は二番日の守護の天使を受ける。
E: 司教達でもより多くの守護の天使を持つのか?
B: そうだ。彼らの天使達は彼らの働きと彼らの責任の重大さに応じて、彼らに割り当てられている……私は、守護の天使達は皆偉大であるが、しかし、彼らが皆同一の保護の力と能力を持っているわけではない、ということを説明しなければならない。あらゆる種類の守護の天使が存在する。そのことは天主の御手と御摂理のうちにある。
成長した子供の守護の天使が、威厳〔位の高さに伴う威厳、dignity〕、あるいは偉大なものの持つ保護力を持たないということが起こり得る (1) 。あるいは、大天使ですら別の子供に割り当てられるかも知れない。そして、成長し、より大きな試練を受けているこの人間が、彼に割り当てられたより力強い守護の天使を持つ、ということも起こり得る。
それが上のあそこ〔上を指差す〕にいる天主がお前達を取り扱い給うやり方である。天主はあらゆる事柄を、お前の最善の為にはからい給う。天主は命じ、指図し、あらゆる事柄をはからい給う。お前は天主のはからい給うことについて何の考えも実際持たない。このようにそれは天主の聖父としての御目がお前を見守り給うということだ。そして我々下にいるもの(と下の方を指す)について言えば、いったい我々は何を持っているのか?(物凄い溜息で)ああ! 我々は天使について話すのは嫌いだ!
E: お前は天使達について素晴らしいことを我々に教えることができた。そのことに対して祝せられた乙女に特に感謝しようと思っている。
B: それにしても、祝せられた乙女はいつも何か、我々の計画に反対する何かを求めておられる。
祈りは聖霊の働きに先行し、
またそれに同伴しなければならない
E: …の聖名によりて!
B: 私は堅信に戻らなければならない。もしそのような志願者が、前には聖霊に対して祈らなかったし、後ではいっそう少なく祈るとすれば、彼は真のキリストの兵士ではないであろう。彼はふらふらと進むであろう。彼は群衆に従うだろう。彼は今や、その秘跡がすべての聖香油を以て、以前に言われたすべての言葉を以て、なお適切な仕方で執り行なわれた場合よりも、遥かに少ない聖寵しか受けない。[63]
志願者はまた、真のキリストの兵士となる為に、出来る限り大いに自分自身の約束をするべきである。そのとき、彼はその道をふさぐものとして見出される、最初の些細な出来事において左へ方向を変えることはないだろう [64] 。キリストの兵士であることは、それが困難となる時でさえ、それがあらゆる側面で困難となる時でさえ、おのれをキリストと公教会の傍らに置くことを意味する。
世間から物笑いの的にされ、また人々の前で、為されるべきこと、言われるべきことにしっかりと掴まることの方を取りたくなくなるような、ある状況が存在する。「人々の前で私を宣言する者を、私もまた御父の前で宣言しよう」[65] そのことはただ我々が実際正しいことを為し、そして真のキリストの兵士である時にのみ起こる。
E: いと祝せられた乙女がお望みになることを言え! すべての真実を我々に告げよ!
B: お前の全生涯の間、お前がぬぐえない印を持っていることを記憶しておかなければならない。人が堅信の秘跡を受けこのぬぐえない印を帯びている時、我々は堅信の秘跡を受けなかった者よりも、彼の方をより多く、地獄において苦しめることができる。しかし、にもかかわらず、堅信の秘跡を受けた者は受けなかった者よりも、悪に抵抗し善を為す遥かに大きな力を持っているのだ。
E: いと祝せられた乙女と … との聖名によりて!
婚姻の秘跡
B: 次は婚姻だ。ひとはこう言うことはできない。「今我々は婚約した、そしてとにかく結婚するだろうから、事実上結婚したものと考えることができる。従って、我々は望むことはなんでもすることができるし、許されるのだ。我々はお互いの為に作られたのではないか?」そうすることはできない! 上のあそこ〔上を指差す〕におられる方々はそのことをお望みにならない。
一人の司祭の前で、そして上のあそこ(と再び上の方を指して)におられる方々の前で……公教会の前で、すべてのひとの前で、諸々の天使と聖人の前で……その全生涯の間、その婚姻に封印する為に、婚約者と共に祭壇へ近付く日まで、自己否定と犠牲が必要である。同棲生活をしている人々…我々は以前にもこのことを言わなければならなかったが…が自己否定を実践し犠牲をする仕方を学ばなかった場合、彼らはそのことをもはや結婚生活の中で為すことはできないだろう。
プロテスタントの男性とカトリックの女性が、あるいはその反対の場合もあるが、やって来てこの様に言うことがよくある。「神父さん、我々は何を為すべきでしょうか? なんの解決もないのでしょうか? 我々はカトリック教会でとても結婚式を挙げたいのです」と。彼らはなおそう言う。彼らがプロテスタントとの結婚は危険を生むということを予め熟考しておりさえすればよいのに。そうして彼らはやって来る。そして現代的な司祭は手を差し伸べてこう言う。「よろしい。我々には独自のやり方があります。あなた達は両方共カトリック教会へ来ることができます。我々は結婚式をエキュメニカルな儀式でやりましょう」。
それは人々を喜ばせる。彼らはそれをまにうける。特に、プロテスタントの人々はこう言う。「そのようなことを見ることは我々にとって大したことです。そのことは我々に対して大いに役立ちました」。当然、彼らはカトリックの側にとって、混宗婚が聖寵と祝福のどれほどの喪失を意味しているかを理解しない。よいカトリック信者はプロテスタント的婚姻を喜ばないであろう。後になって何が起こるだろうか? 義母や義父は自己主張をするだろう……そしてカトリック信者の配偶者にとって、屈しないことは非常に困難であろう。
いろいろな試練が予期せずにやって来て、夫婦が誤解するような場合、結婚生活がしばしば非常に困難になることは言うまでもない。もしもそういった場合に、夫婦が同じ宗教、あるいは同じ宗教的信念を分け持っていないならば、それはことのほか非常に重い十字架なのだ。同様にまた、これらのことはしばしば口論や、いらだちを引き立こす。結婚生活はしばしば非常に荒んだものである。
我々はこのことを付け加えて言わなければならない……あの御方(と上の方を指して)は、誰でも付合う(恋人同士になる)(青年男女はいずれも)以前に、あるいはそうなろうとしている時に、遅滞なく将来のパートナーに、彼あるいは彼女が、どの宗派に属しているかを尋ねなければならない、と私に言わせられる。もし必要ならば、交際を続けてはならない。論理的な結論を引き出さなければならない。よいキリストの兵士となるように、絶交せよ。
E: 天は混宗婚を望まれないのか?
B: 天は混宗婚を望まれない。天はそれを我慢されるが好まれない。
E: これらのことはお前が秘跡について我々に語らなければならなかったことだと思うが、いと祝せられた乙女は今、秘跡についてそれ以上のことをお前が我々に語ることをお望みではないか? …の聖名によりて!
B: 婚姻の秘跡は可能な限り真剣に行なわれなければならない。ずっと昔に、カナでキリストは、まず結婚する二人の為に祈られた。キリストは彼らが送るべき生活について彼らに訓戒を与え、助言を与え給うた。キリストは彼らを聖心の中に入れ給うた。キリストは彼らをとても愛された。
結婚式に招待された人々は同様にまた、若い二人の為に特別の仕方で祈らなければならない。結婚はいつでもある。結婚式に参加するすべての人、両親、友人は二人の為に、彼らがその生活の状態において、最高の高い徳に到達するように、死が彼らを分かつまでその結婚の義務を果たすように、祈るべきである。事柄全体は今日そうであるよりも、もっと真剣に考えられるべきである。
E:「死が彼らを分かつまで」? …の聖名によりて![66]
独身生活と真の司祭職
B: 結婚はまったく容易なものではない。我々悪霊はカトリックの司祭に囁く。「もしお前が独身生活に忠実であり続けるならば、もしお前が喜びの杯を底まで飲み干していないならば、お前はチャンスを逃しているのだぞ」と。それが我々悪霊が四六時中、司祭が……するまで、とてもしつこくまたとても我慢強く、司祭達にほのめかしていることだ……それはその時、……の為には充分なのだ。我々は何も言いたくない。全然何も言いたくない。
E:『夢に見ている女』か?
ベルゼブルB:『夢に見ている女』が司祭のまわりをうろつきながらやって来る。それが樽の底を突き破るのさ……我々は司祭達にこう囁きかける。「もう聖務日祷なんか唱えるな。時間の浪費だよ」と。もし彼らがそれでもなお聖務日祷を唱えていたならば、これらの誘惑がやって来る機会は、ずっと少なかったであろう。我々は取るべき行動が何であるかを非常によく知っているのだ……
E: それでは、聖務日祷は毎日唱えるべだきだね?
B: すべての司祭が例外なしに、かつてはそうであったように、毎日一時間を聖務日祷に捧げていたならば、そのとき我々は非常に僅かの力しか持たなかっただろう。司祭達の内で堕落する者はほんの僅かの者しかいなかっただろう。そうして、司祭達がこの『夢に見ている女』と結婚する点まで盲目にされることはなかったであろうから、直ぐに彼らは立ち帰ったであろう。司祭達は、もし彼らが毎日聖務日祷を唱えていたのならば、それについて予めよく考えたであろう(皮肉な笑い)。
E: では司祭達を誘惑する女性は?
B: 大抵の場合、それらの女性はいっそう大きな責任を持っている……彼女達はこの人がカトリック司祭であること、そして祝福に満たされていることをよく知っている……我々は話したくない。
E: お前は、いと祝せられた乙女がお望みになることを言わなければならない!
B:... …彼女達は司祭がどれほど豊かな祝福を受けているか、司祭の働きが如何に重要なものであるか、を知っている。それが彼女達が司祭のまわりを絶対にうろつき回るべきでない理由だ。これらは大罪、非常に重大な罪であって、その罪はそれほど遠い先のことではないだろう。
それゆえ、これらの司祭が結婚すれば……その多くはほとんど直ぐに不幸の中へ突き落とされてしまう。我々は次の考えをとりわけ司祭達の頭の中へ吹き込むのだ。「もしお前がこの『夢に見ている女』をもらうならば、お前は天の分け前を持つことになるだろう」と。
E: 天の分け前?
B: 天の分け前だ。我々は天をその完全性において与えることはできない。それは我々の能力を越えることだ。
E: それを約束することさえできないかね?
B: 誰だってそれを敢えて完全に約束しないであろう。しかし、分け前なのだ。それが我々が彼らの耳の中に吹き込むことだ。我々はこれらの考えを彼らの頭の中に植えつけるのだ。それから、我々はエロチックな想像の一つを司祭のまわり全部に渦巻かせ、樽がその底を完全に失うまで、そのたがを締め上げるのだ!
それから、司祭が既に大罪の状態にある時、彼は考える……その時、我々は彼をそう容易には離さない。我々は、司祭にこう考えさせるように、すべてのことを為すのだ。「子供を持てば素晴らしいだろうな」。そこで我々は再び司祭にこう囁く。「お前はここまで来てしまったのだから、その他なお何をしようがどうでもよいのだ」。そして彼らは、完全に泥沼にはまり込んでしまい、もはや前進も後退もできなくなるまで、罪の道をどんどん歩き続けるのだ。
E: そして彼らは救われなければならないのか?
B: その時ですら、彼らはまだ、すべてのことが彼らにとってうまく行くだろうと想像する。この軽はずみな女…失礼…しかし司祭を追い回す充分な品性もほとんど持たないこの女は、結婚するともはやなんの徳性も持たないであろう。お前は彼女がなんらかの徳を持つとか、徳の天使であるとかということを信じるかね? その時、仮面が落ち、マントが脱げる。その時、何がその下にあるかを見ることができる。汚物以外には何もない。…これ以上もう話したくない!
E: …の聖名によりて!
B: 多くの司祭は直ぐに自分達の行ないをひどく後悔し、そしてそこには喧嘩がある。司祭は神学を研究し、ある仕方で形成されてきたがゆえに、そして彼はある種の粗野な人間ではないので、大部分の時間、彼はこれらの喧嘩に関わることをしていないのだ。しかし、変えられ得ないことが尺取り虫のように彼の心をかじりながら、彼を締め上げ続ける。多くの司祭は直ぐにひどく後悔する……
我々はその上、次のことを言わなければならない。霊的なすべてのもの、より高いもの、宗教、善を為すことに関わるすべてのことは、天が地よりも高みにあるように、肉の欲よりも遥かに高いところにある。それが祝せられた乙女が私に言わせられるところだ。肉はただ短い時間だけ続くにすぎない。
それから、肉と共にあるのは……ああ! 我々は話したくない!
E: 多くの不幸なこと!
B: 当たった。離婚、等々について考えるだけで充分だ……
我々は彼らに対して、地上の天国について輝かしい景色を繰り広げる。実際は、多くの者はよじ登らなければならない恐るべき山を持つであろう。肉の欲は霊性の下、恐ろしく隔たったところにある。その司祭達が自分自身に屈することによって、何を失っているのかを知ることができたらよかったのに! 彼らは髪の毛をかきむしったであろう。そのような女から逃れ、誘惑を避ける為に何マイルも旅をしたであろう。
天主の聖寵は大きくて力強く、すべての肉の欲、世間のすべての快楽よりも、より普遍的、より高尚なものである。ちょっとヴィナスとタンホイザーの伝説を考えてみよ [67] 。今日の司祭達の説教よりも、もっとよい説教がその中には直ぐに見出されるであろう。この男の深い悔恨がいまなお見られるであろう。そして如何に彼・タンホイザーが山にいるこのヴィナスの側に居ようとして自ら出発したことに対する苦しみで、ほとんど消え入らんばかりであることか。それは実に今日の多くの現実の説教よりもよい説教であろう……
これは今日にもまだ当てはまる。時は変化しなかった。天においては時は存在しない。時は永遠の今である。このすべてのことは今日もなお妥当する。このすべてのことは、今日の人間が、もっと容易な生活をしなければならない、望むままに罪を犯すことができる……そのことに対してそれほど厳格に責任を追及されることはもはやないだろう、と信じているけれども、…この下の我々のところでも、あの上〔上を指差す〕でも…いまなおその完全な妥当性を保持しているのだ。そのようなことは天の御覧になることとは違う。あの方々〔上を指差す〕はまったく異なった考え、全然違う意見を持っておられる。
E: 一つはここ地上に、また一つはあそこの上に、と二つの天国があるのではない?
B: お前は要点を突いた。まったく正しいよ。上のあそこでは、あの方々は天国は多くの十字架と、自己否定を通して賞せられるべきだという御意見をお待ちだ。司祭達と平信徒はこのことにもう一度気付かなければならない。そのすべての甘美さとそのすべての荘厳さを持った天国は、ただ重い十字架、犠牲、自己否定そして自分自身の本性を抑制し、それに逆らうすべてのものを通してのみ報いとして与えられるのである。
天国が与えられる時、それは狭い道に従ったすべての人々に、限りない美と尊厳を与えるのだ。
原註
[59] 悪魔ベルゼブブが公教会の破壊を目的とする悪魔とフリーメイソンの協働について語るのは、この一連のエクソシズムの中で、これが四度目である。
[60] 祓魔師に対するベルゼブブの言葉:「そんなに沢山聖水をかけるな。雨が降ったと思うだろう。我々はこのくだらないものに対して傘をささなければならなくなっている。やめろ!」(一九七七年十一月七日)
この悪霊は以前の悪霊祓いにおいて聖水は彼らを逃げ出させると言った。
[61] 正確な定式文は「味覚と言語の力を通して」である。(『平信徒の日々のミサ祈祷書と典礼』一九六二年)
[62] 諸々の秘跡の執行の為の儀式において(ミサの儀式においてと同様どの部分も)各々の言葉、各々の身振り、各々の約束は……それらがキリストの聖名において決定されてきた限りで、それ自身の力、そのかけがえのない価値を持っている。なぜなら、それはキリストに由来するからである。最も小さい部分でもそれを変更することは受ける恩寵を少なくする。
[63] 実際、秘跡的な「性格」とそれから流れ出る聖寵とを区別しなければならない。後者は大きく変わり得るが、前者は[それが妥当なものであれば]常に同じである。
[64] これは、もちろん、「キリストの左側にいる者」を指して言っている。それは最後の審判の「山羊」として記述された神に見捨てられた人のことを指している。「……彼[人の子・キリスト]は羊を右側に、山羊を左側に置かれるだろう。……その時、彼[王たるキリスト]はこんどは左側にいる人々に向かってこう言われるだろう。『呪われた者よ、私を離れて、悪霊とその使い達の為に準備された永遠の火に入れ』と。」(マテオ、二五、三三および四一)
[65] マテオ、一〇、三二
[66] 祓魔師である司祭は(悪霊に憑かれた女性の態度から)悪霊がもっと為すべき啓示を持っていると感じ、あるいは推測しているが、それがここでの繰り返しを説明している。
[67] リヒアルト・ワーグナーによる歌劇『タンホイザー』(一八四五)。ヴィナスの腕の中で破滅を招いた為に、タンホイザーは自分の救いを乞う為に、ローマへ行かなければならない。タンホイザーを赦免することを拒否する教皇の呪いに付纏われて、タンホイザーは再びヴィナスを訪ねる。しかし、清純な声が聞こえてくる。これは罪人の為に赦しを求めて自分の生命を捨てるエリーザベトである。そこでタンホイザーは婚約者の側に跪き、死において彼女と一緒になる。ところで一方、天主の御憐れみが一つの奇跡によって示される。
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