第13

祈祷に関する意見

 ここに口祷、即ち口と心とを以て唱うるものの事を述べ、黙想の事は後に語るべし。

 第一に言いたいのは、祈祷は短く、またしばしばすべきものである。熱心な望みを以て祈祷を活動させ、また神が必ず我等を助けんとし給う事を思い込んで、これを専ら信頼せねばならぬ。神はもちろん我等の思うように、欲するままには助け給わずとも、善き時節に、また最も有益な方法を以て、助けて下さるに相違ない。

 第二、何時であっても、祈祷をするのに、現に、あるいは暗に、左の如き言葉を以て、これを結ばねばならぬ。即ち、「願わくは主の善良によって聴き給え」、あるいは「主の約し給いし如く」とか、「主の光栄の為に」とか、「慈愛[いとおしみ]給う御子の御名によって」とか、「主の嘉し給う童貞マリアの名を以て」とか、願い奉ると言わねばならぬ。

 第三、祈祷には時々熱心なる投詞を加うるがよい。例えば「主よ、至愛なる聖子の御名によって、主を愛するを得せしめ給え、嗚呼、我が神よ、いつ主を真実に愛し奉るを得べきや」と。

 斯くの如き投詞を、主祷文の願いに加えてもよい。一段落ごとに加えても、または総体の願いの終りに加えてもよい。例えば「天に在す我等の父よ、願わくは御名の尊まれん事を、嗚呼、父よ何時になれば御名は遍く地上に於て人々に知られ、尊まれ、光栄を帰せられる事あるべきや。嗚呼、この日を満たし云々」。

 第四、善徳及び聖寵を願いながら、如何に徳を重んずべきか、如何ほど我等はこれを要するか、また神の広大なる事、善良なる事、なおまた願いをする我等は実に聞き入れられるほど勲功なき事を調べるがよい。斯くの如くすれば、熱心な志、及び望みを以て祈祷をなし、益々尊敬と信頼とが増加し、また謙遜の心をなお深く覚ゆるに至らん。終に、祈祷の目的を考えて、神の聖意、及び光栄の為に適合するよう、これに向けねばならぬ。

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