第16

神の本有の観念

 神は如何なるものなるかと云うに、独り自己[みずから]を全く知るものたるものが、この問題に対して答えてのたまわく、「我れは有りて在るものなり」と。言葉を換えて云えば、神は独り自己の力によって有り、且つ然るものにして、有らざるを得ざるものである。

 この称号は神の固有のものにして、高崇、且つ優勝なるもので、他の被造物[つくられたもの]には一つも当て嵌まるものはないのである。諸侯も国王も帝王も、天使も、凡て世に在る如何なるものも、決して当て嵌まらぬのである。何故ならば、他のものの在るのは、みな神によってその存在を受けているので、全く神に属するものである。自己[おのれ]は実に何にもないのであるから。

 これに由りて見れば、人が被造物に於て、造物主を愛する事でなく、その最上の主[ぬし]の目的に従ってこれに愛着する事でなく、被造物そのものに愛情を置いて、これに愛着するのは、如何にも無駄な事であると云う事が分る。然り、無駄と云わねばならぬ。何故なれば、人が無駄なものを愛し、また自己では何にも成らぬものを以て満足する事が出来ると想像し、また身を尽して、被造物に何かの恵みを願うと雖も、ただ自己はこれに由りて益々貧しくなり、終に死するに至るべきものである。

 故にもし適当に愛せんと欲するならば、神を愛せよ。神の外に心の需要を満たすものなし。

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