第23

神は罪人の悔悟を待ち且つその罪を寛容してこれに顕し給う甚だしき愛憐

 罪人に対する神の寛容に於て、神の甚だしき愛憐を弁うるには、先ず天主は云うに云われぬほど徳を嘉し給い、その如く、またこれに反して、限りもなく悪徳を嫌い給う事を考えよ。

 即ち罪人が神の威稜の尊前、その最も清き目前に、敢えて重ね重ねの夥しき罪を犯すのに、神がこれを寛容し給うは、如何なる愛憐ぞや。罪人は実にこう云うことが出来る、「嗚呼、主よ、我れよく認む。我れは罪を犯しつつありしに、主の我れに向って、汝は罪を重ね、我れは赦すに何れが勝ちを得べきかを見んと、我が心に云われるが如きを」と。

 思うにこの観念をよく黙想すれば、必ず神の聖寵を以て、罪人の心を感ぜしめ、速やかに改心するに傾かしむるに、最も適当である。もしこれを考えても少しも感ずる事なくば、実に深く且つ探るべからざる神の聖計[みはからい]は、大いに恐るべきものである。何故なれば、ある日来たりて、俄かに恐ろしき打撃を以て打ち給い、到底取り返しする事は出来まい。

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