第24

来世に於て神は自己に始終忠実に仕えた者のみならず改心した罪人のためにも為し給うべき事

 神が天国に於てその選まれた人々に報ゆるに与え給うべき恩寵と歓喜とは、広大且つ優勝なものにして、到底想像する事は出来ず、その価値に応じて宜しくこれを望む事は出来ぬほどである。しばしば福音書の喩えに云われてある如く、神の自ら設け給うた饗宴に連なり、神の手づから、限りなき福楽の尊き糧を頂くのは、人にとりて如何ほどの栄誉なるか、誰がこれをよく覚り得べきや。どうして福者が主の歓喜に入れられるを想像する事が出来ようか。神が天国に在る福者に賜うところの愛と栄福とは、誰がこれをよく探り得ようか。博士聖トマはこの事について書して曰く、「全能の神が自らを天使や聖人に供し給う大御心は、あたかも神が各々の仕え人にして、その者を己が神の如くし給う様に思わるるなり」と。

 嗚呼、神よ、主がその造り給いしものに対して凡て為し給うところを熟考すれば、主はあたかも愛情にほだされ給える如くに思われ、主の唯一の幸いは、この憐れな被造物を愛して、これを恵み、自らを以てこれを養い給うに在りと思わるるに至る。

 嗚呼、主よ、主の我等を愛し給う愛の程を覚らしめ、我等をして愛を以て主の愛に報わしめ、且つ主を愛して、その愛情により、主と全く一致するを得しめ給え。

 嗚呼、人の心よ、汝はいずこに至るや。汝の追究するところは影なり、風なり、虚無なり。斯かる迷いの中に、畏くも汝の棄つる御方の誰なるかを考えよ。これは全能者なり、最上の智者なり、云うに云われぬ愛憐なり、造られざる美徳なり、至高の善なり、萬徳の限りなき大海なり。自らは汝を追究して大声に汝を呼び、汝を来たらしめんために旧恩を以て退くを足れりとし給わず、尚新たに恩を賜らんとす。

 汝に於ける斯くの如き忘恩の沙汰は何より起れるや。これ全く汝が祈祷を為さず黙想に従事せざるが故なり。而して自ら承知しながら、光明と愛熱とを退けるにより、如何にして暗夜の業を脱するを得んや。

 愛憐[あわれ]なる心よ、今や来たりて祈祷と黙想とを練習してみよ。ここに至らば、キリスト信者の大学は、取りも直さず我意を棄て、神の意志をのみ為すを努め、己れを嫌うて神をのみ愛するにありと、明らかに悟るであろう。この大学がなくしては、他の凡ての学問が何になるか、また如何なる学問が、この神より出ずる大学に比するを得べきや。断言す、この大学がなくては、世に在る他の勉強、他の学問はただ傲慢や自負の機関となるばかりで、知識を明らかにすれども意志を暗まし、多くはこれに身を委ぬる人々を、滅びに至らしむる事がある。

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