第28

聖体の秘蹟の拝領

 聖体拝領は何処までも聖寵を増すに決まったものであるが、これを以て聖寵の増すを頂くには、最も善き覚悟をせねばならぬ。而してこの覚悟を相当にすることは自らでは能わざるにより、極めて熱心に、聖会と共に、斯く神に祈らねばならぬ、「主よ、請い願わくは我らの心を訪問し、専らこれを清めて、聖子イエズス・キリストのこれに下り給う時、その聖意に適う住処と成る事を得せしめ給え」と。

 然るに神が我等に善き覚悟を為さしめんため賜わる所の聖寵に出来るだけ協力するには、先ずイエズス・キリストが聖体の尊き秘蹟を定め給う時の目的を考えねばならぬ。直ぐに御苦難の時我等に現し給うた愛を専ら思わせる為であると認むれば、なお何の為にその愛を思わせようとし給うのであるか、と云う事を探らねばならぬ。これは勿論我等をして、愛と従順とを起さしむる為であるから、これを認めて専ら神を愛し、神に従順ならんとする望みと意思とを起せば、最も善き覚悟となるのである。加うるに、今までは神を愛せず、神に従順ならざるのみならず、却っていとも愛深き父に非常に背いたのを悔む事を、示さねばならぬ。

 聖体を拝領する時まで、覚悟する為の望みと心組みは、ほぼそれであるが、拝領の時が来たらば、信仰を奮い起こさしめ、パンの形色の中に、いよいよ世の罪を除き給う神の子羊の籠もりまします事を堅く信じ、深くこれを拝礼して、なお万一にも心に残れる汚れを、悉く洗い清め給わん事を希望して、これを拝領せねばならぬ。

 拝領後、イエズス・キリストが我等の胸に居ます時、しきりに愛を以て、我が心を燃やし給わん事を祈り、聖意に適わん為に要する所の凡ての恵みをも願わねばならぬ。終にイエズス・キリストを天の父に献げ、讃美の犠牲[いけにえ]として、聖体の恵み、贖いの恵みの中に示し給える、広大無辺の愛を感謝し、この献げ物の報いとしてその愛を賜わらん事を願い、なお生ける人と死せる人との種々の入用の為に祈らねばならぬ。

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