討議
二人のルチアに関する賛否両論
ルチアの写真の上に広がり行く野火
簡潔な経過記録
2006年4月5日、マリアン・ホーヴァット博士は、多くの反響を引き起こすことになるファチマのシスター・ルチアの幾枚かの写真についての分析ここをクリックを、このウェブサイト上に置いた。我々はこの問題に関し読者から寄せられた反応のうちから最も表現力に富んだものを選び、それを下に掲示している。
ホーヴァット博士にこの記事を書かせる引き金になったのは、インサイド・ザ・バチカン誌2006年3月号に掲載された一枚の疑わしい写真だった。彼女は記事を書く前に、その雑誌社に、その写真に映っているシスター・ルチアの正確な年齢についてだけでなく、その情報自体の確かさについても問い合わせた。現在(2006年4月11日)に至るまで、彼女の要請に何の回答も与えられていない。また現在まで、インサイド・ザ・バチカン誌のウェブサイトには何の訂正記事も表示されていない。
しかし他方では、我々が然るべき熟慮を期待する読者達の中から、同じ方向性を持った二つの情報が我々のところに届いた。
第一のものは、Novus Ordo Watch のウェブサイトの声明に関するものだった。それによると、インサイド・ザ・バチカン誌は、自分達は誤報をしたのであり、その写真は実はシスター・ルチアのものではなかった、と認めた、ということだった。我々は Novus Ordo Watch の編集者に、彼の得た情報の信憑性を知るためにコンタクトを取った。彼は、「私はインサイド・ザ・バチカン誌の職員を友人に持つ私の友人からその情報を得ました。おそらくインサイド・ザ・バチカン誌は、2006年4月号に訂正記事を載せると思います」と答えた。従って、今のところこのニュースは、確認を待っている間接的な証言であるということになる。
第二のものは、ポルトガルから寄せられた情報だった。José Neves Lima 氏。彼は、シスター・ルチアの遺体がコインブラからファチマに移送された時、同じ写真をポルトガル・ウィークリー誌の中で見た、と断言した。Lima 氏の記憶によれば、その写真はコインブラのカルメル女子修道会の現在の院長、磔刑にせられしイエズスのマザー・マリア・セリーナ(Mother Maria Celina)のものであろう、ということだった。
我々は教えられた新聞社と雑誌社のウェブサイトを調べてみたが、言及された写真を見つけることはできなかった。Lima 氏から送られて来た二枚の写真を議論に委ねるために、彼のコメントと共にそれを下に掲載する。それにより、読者は自分でこれを判断できる。Lima 氏は我々の、我々の読者のために状況を明確化させるためにポルトガル・ウィークリー誌の写真と記事をスキャンしたものを送って頂けないか、との要望に応えてくれたのである。
たとえ最初に問題とされた写真がシスター・ルチアのものではなかったとしても、ホーヴァット博士が年長のカルメル会修道女のルチアと若いドロテア会修道女のルチアについて書いた記事は有効なままである。更なる弁明がこの提起された重大な疑惑に与えられるまで、TIAは彼女の記事を彼女の分析の言葉と共に我々のウェブサイトに掲示する。
TIAの通信事務局は、受け取ったEメールの中から最も注目すべきと思われるものを選んでいる。それらを以下に掲げる。
ポルトガルの読者から
親愛なるホーヴァット博士
私は今、インサイド・ザ・バチカン誌が年齢40〜50と思われるシスター・ルチアとして掲載した写真は、実は現在のカルメル修道会院長、磔刑にせられしイエズスのマザー・マリア・セリーナのものであるということをお伝えするために書いています。私はあなたに、疑問視されている写真、あなたの記事の中で体を前に傾けた姿が写っている彼女の写真は、その修道院長が Expresso of Lisbon 誌の取材に応えてインタビューされた時のものであり、過去の2月号(確か2006年の2月18日号か2月25日号)の中で、シスター・ルチアの遺体がコインブラのカルメル会からファチマ大聖堂に移送された時の記事の中で使われていたものである、と指摘させて頂きます。
With my best regards,
José Carlos Neves Lima
ホーヴァット博士の応答:
José Carlos Neves Lima 様
あなたが送って下さった情報に感謝します。それは非常に有益且つ明確なものでした。私はこれをTIAに投稿したいと思います。しかし私は、あなたが誰に代わって私の読者達にその情報を与えるために話しているか、を知っておく必要があります。
記事の中で書いたように、私はインサイド・ザ・バチカン誌にこの写真のシスター・ルチアの年齢を問い合わせました。しかし、その後一週間になる今日まで回答を受け取っていません。ジャーナリズムの原則に従えば、これはその人物がシスター・ルチアであることへの暗黙的な確証であると言えます。
私はあなたの情報が正しい可能性もあると思っています。しかし、これが雑誌社の誤報であったとはっきりと確認するために、私は情報源についての確かなことを知る必要があります。
もし、あなたがその情報源を示すことができないならば、私があなたの手紙を翻訳し、読者から編集者への手紙としてそれを扱わせて頂くことができるかどうかについてお知らせ下さい。その際、あなたのお名前も使わせて頂ければと思います。
With regards,
Marian T. Horvat, Ph.D.
Lima 氏から送られて来た返信と写真:
(上)矢印の人物がマザー・マリア・セリーナ。コインブラのカルメル会修道女達と共に。2006年2月13日
(下)左がマザー・マリア・セリーナ。シスター・ルチア2と共に。
親愛なるホーヴァット博士
私は伝統主義的なカトリック教徒で、ただ自分の名においてのみ書いています。私は、自分がコインブラの聖テレジア修道女会院長のインタビュー記事を読んだことを記憶しています。それは、リスボンの新聞 Expresso が先の2月18日号か25日号で、附録である Revista Única の中で掲載したものです。私はそれを読んでいたので、TIAのあなたの記事の写真を見た時、それが何であるか直ぐに分かりました。私はたびたびTIAを閲覧する人間です。
私のこの言葉を確かめるための最も良い方法は、Expresso 社に連絡して、そのインタビュー記事のコピーをもらうことができるかどうかを問い合わせることだろうと思います。
しかしそれでも、私はウェブの中を探し、磔刑にせられしイエズスのマザー・マリア・セリーナの写真を二枚見つけることができました。これらの写真の中では彼女は眼鏡を掛けていませんが、しかしおそらくこれが、インサイド・ザ・バチカン誌が40〜50歳頃のシスター・ルチアとして掲載した人だろうと思います。
そのインタビュー記事を読んで、私は、マザー・マリア・セリーナはいくぶん「第二バチカン公会議の精神」に影響されている、との印象を持ちました。
私の手紙を翻訳し、そこに私の名前を使って頂くことには問題はありません。
Best regards,
José Carlos Neves Lima
あなたは正しい!
ホーヴァット博士
バチカンによって私達の前に置かれていた修道女は本当のシスター・ルチアではないというあなたの考えは、正しいと思います。私は、彼女がトゥイ(スペイン)の修道女であった20歳の時の写真を見て以来、彼女が「バチカンのシスター・ルチア」である筈がないと分かっていました。
ファチマの真の幻視者はどこにいるのでしょうか? 私は、彼女がまだ生きており、本物のファチマの第三の預言が公開されるまでは死なないだろうと確信しています。この秘密の本当の内容が公表されるために、私達が彼女の使命に協力してできることは何でしょうか? 私達は祈らなければなりません、もちろんです、でも同時に、この詐欺行為を告発しなければなりません。
私にとって彼女らの最も明らかな違いは、顎です。偽のシスター・ルチアは頬がこけて骨張った顎を持っています。他方、本物のシスター・ルチアは、しっかりはしているけれど突き出てはいない顎を持っています。添付ファイルとしてシスター・ルチア(II)の横顔が写っている写真を送ります。これはVSL(バチカンのシスター・ルチア)の全ての虚偽を破壊するものです。[1]
私は、革命と反革命が戦っている現在の状況を変えることができるのはシスター・ルチアだけである(本当の第三の秘密の公開のことも含めて)と思っています。
L.S.C.
カルメル・アーカイブスの死亡記録
編集者様
私は陰謀論が好きな人間ではありません。しかし、ホーヴァット博士が紹介した奇妙な写真の他に、もう一つ奇妙なものがあります。それがあったのは、跣足カルメル会のためのウェブサイトここをクリックにおいてでした。このウェブサイトが2005年当時に表示していた修道女達の死亡記録がここにありますここをクリック。その中の265番を見て下さい [2] 。そこにはシスター・ルチアの名前がありますが、帰天日の日付が1949年5月31日となっています。
このリストは少なくとも一年間、誰によって訂正されることもなくそこにありました。私は、もしかすると皆さんの内のどなたかが、これが何なのかを私に説明して下さるのではないかと思いました。
もう一度言いますが、私は陰謀論が好きな人間ではありません。しかし、確かに写真は奇妙であり、またこの死亡記録も非常に奇妙です。ただこのことをお伝えしく思った次第です。
J.K.
TIAの返答:
リストの265番は、ルチア・ドス・サントスの出生日と誓願日に関しては正しい日付を表示しています。彼女は1907年3月22日に生まれ、1928年10月3日に聖ドロテア会修道女として初めての誓願をしています。
何故、公的な記録文書が彼女の帰天日を1949年5月31日としたのか、その理由を知ることは難しいです。あるいは彼女は本当にその日に帰天し、そして後に、別の者が彼女の名によって2005年に死亡したのかも知れません。
Cordially,
TIA correspondence desk
二人のシスターにおける歯の違い
ホーヴァット博士
シスター・ルチアの写真の二つのセットの間にある露骨な違いは、本当に私に衝撃を与えました。僅か数年の間にどのようにして一人の人間がこれほど変わり得るのか、それを説明することは本当に困難なことです...
シスター・ルチア1の歯について私がもう一つ気づいたのは、歯が見えている写真[ここをクリック]の中で、彼女の「犬歯」が少し突き出ていることです。そして、その噛み合わせは、シスター・ルチア2の歯の「定規で引かれたような」直線的なものとは違っています。
S.S.
親愛なるホーヴァット博士
私は私の姉妹と話しました。彼女は歯科医です。彼女はあなたが提供した写真を今晩見ることになるでしょう。彼女は、「完全な総入れ歯は、特に患者に骨にまで至る重大な損傷があった場合──この場合の“骨”とは“リッジ(歯槽骨堤部)”と呼ばれる部分のことだそうです。私は“ブリッジ”と勘違いしていましたが──笑顔やその他の表情をかなり変えることがある。まあ、それに顎顔面手術でも伴わない限り、顔の造作それ自体までは変わらないだろうけれど」と言っていました。また、「1930年代以前、あるいは1940年代以前では、非常に若い人においてさえ、虫歯や歯周病が広範囲に及んでいた場合、歯の全摘出が最も一般的な治療法だった(貧困の問題がある場合には特に)」とも言っていました。
明らかなのは、シスター・ルチアは、少なくとも微笑んでいるシスター・ルチア1の写真の日付の時までは、彼女自身の歯を持っていたということです。明らかでないのは、それらがいつ摘出されたのかということと、それが彼女の表情にどのような影響を与えたのかということです(そして以上のことは確かに、あなたの他の議論に影響を与えるものではありません)。
Sincerely,
Dr. P.D.
親愛なるマリアン・ホーヴァット博士
私は「二人のファチマのシスター・ルチア」についてのあなたの記事を読みました。
私は、私達は確かに二人の別の人物を見ているのだ、とあなたに同意します。私がそのように思う理由は、彼女らが異なった歯列を持っているからです! 人というものは、時々その特徴によって他の誰かに似て見えるものです。しかしながら、彼女らの歯とその配列は、それぞれにとても特徴的なものです。
私達がルチア1の写真を見る時、彼女の上の左の門歯が前方に出ているのが分かり、また、上の右側にある歯も配列から外れているように見えます。彼女の歯の形状はとても長いです。
そして次にルチア2の歯を見る時、私達は彼女の歯が真っ直ぐの配列を持っているのが分かります。シスター・ルチア1が自前の歯をすっかり抜いて、それを総入れ歯と置き換えでもしない限り、あるいは、彼女が歯列矯正治療を受けでもしない限り(これは非常にありそうもないことですが)、私達はこのことだけでも、自分達は二人の別の人物を見ているのだ、と考えるべきなのだと思います。
たとえ私達が「ルチア2は総入れ歯を使用していたのだ」と主張するとしても、私は、それにしてもあまりに自然に見える総入れ歯だ、と言う他はないように思います(歯科技工士は通常、歯をできるだけ美しく仕上げようとするものですが、このように自然に見える総入れ歯を作ることは、それよりも遥かに難しいことなのです)。ルチア2の歯茎は、この腫れと膨らみからすると、彼女の年齢の人達によくあるように、ある程度の歯肉病にかかっているように思えます。これらすべてが、私達はルチア2の自前の歯を見ているのだ、ということを示唆しているようです。
これがあなたの分析のためにお役に立つことを望みます。
Yours in Jesus, Mary and Joseph,
R.L.
写真は同じ人を写したものである
あなたは間違っている!
マリアン...
あなたはリンゴとオレンジを比較しているのですよ... ある同じ人の写真は、角度、光源、使われたカメラ、そして修正されたかどうかによって、非常に違って見えることがあります(そのカラー写真[ここをクリック]はおそらく修正されていますよ ... 業界ではごく普通に行なわれていることです。もしエアーブラシで修正されたのがあなたのしわだったなら、あなただってそれを嘘だとは言わないでしょうに!)それから、あなたはルチアが子供だった頃の非常に古い写真を使っていますが、当時の撮影装置はお粗末なもので、明らかにそれがルチアの特徴を歪めているのですよ。それが、あなたの全結論を導いたのです...
私が示唆したいのは、あなたはご自分のその記事について考え直すべきである、ということです。誰か写真を知っている人に訊いてみれば、その人も私と同じように、あなたの見方に否定的なことを言うかも知れません。おそらくあなたの今回の記事は、あなた方のウェブサイトの他の記事の上にも、人々の良からぬ誤解を運びますよ。
Best,
S.W.(写真のセミプロ、且つ、コンピューター・アーティスト)
違う! 写真は二人か
あるいは三人のものである
ホーヴァット博士
私はあなたの検証記事と写真を A.B.神父に送りました。彼はかつてイタリアで学んだ非常に完成された画家であり彫刻家である人です。下に彼の回答を書きます。
「私の見る限り ---- 私は人体の特徴に関する研究をライフワークにして来ましたが ---- シスターが頬杖をついて目線を上げている写真 ---- この一枚は確かに別人かも知れません ---- しかし私の目には、残りのものは全部同じ人に見えます。おそらく、彼女の歯は一度に全部抜かれ、それで少し変わったように見えるのでしょう ---- また、後ほど。が、以上が私が思うところです。」
Dominus tecum,
T.H.
マリアン
疑惑の中のこの写真はシスター・ルチアのものではありません。インサイド・ザ・バチカン誌はその最新号で間違いがあったことを認め、その人物が本当は誰であったかを明らかにしました。
私はたった今、上の情報を友人から受け取ったところです。しかし、それは既にみんなにその写真を見せた後でしたよ。。ふ〜。
でも、今も私の心には幾つかの疑問があります。その二人について。三人でなければだけど。
God bless,
G.D.
法医学検査の提案
マリアン
あなたの挙げている根拠の幾つかは、とても力強いものだと思います。私の目には、シスター・ルチア2の鼻の頭が僅かに下に向かっている様子は、ルチア1の「普通の」鼻とは違っているように見えます。
たぶん、あなたの多くの読者の中には、これらの写真を調べ、「交換」が行なわれたかどうかを判定することのできる法医学の専門家がいると思います。もちろん、この時代、それは可能なことです。
Best,
in Jesus, Mary and Joseph,
J.B.
親愛なるマリアン
私はあなたの記事「“二人のシスター・ルチア” 論争」を読みました。魅力的な記事だと思います。
私は、もしあなたがこれらの写真を法医学的な検査に委ねれば、簡単にあなたの主張を証明することができるだろうと思います。また、司法の場で使用されることを目的として作られた、人間の顔を比較検査することのできるソフトウェアーもあります。たぶん、あなたは、あなた方のサイトを通じて、そのような方法で写真を検査してくれる協力者を募集できると思います。
もう一度、あなたの記事に、ありがとう。
JMJ
J.N.
親愛なるホーヴァット博士
「二人のルチア」の問題に適した優れたソフトウェアーがあります。この種のソフトウェアーの最も洗練されたヴァージョンが、公共監視カメラネットワークで、私達のこの世の支配者達によって使われています。
Best regards,
E.S.
終わりが近い...
皆さん。
シスター・ルチア1とシスター・ルチア2の写真に関してですが、これらが同じ人物のものだということはないです。これは人々を騙すための不器用な企みです。彼らはこれが発覚しないように気を使っているのかも知れません。しかし、もはやそのことにそれほど大きな気を使う必要はないというのが本当のところです。何故か。理由は簡単です。今日では、真の考察力を備えている人は、極めて、極めて、極めて僅かだからです。
ゲームは終わっています。モダニスト達は勝利を収めました(一時的に)。もはや神聖なミサも真の秘跡もありません。何故なら、貴重な本物、有効に叙階された司祭は、僅かだからです。従って、そこにはどのような恵みも、どのような聖霊の光も、ありません。人々は信仰を、真の信仰を失いました。彼らのほとんどは、今まで、彼らの信仰のことを第一のものとして心配しては来ませんでした。
大きな背教、大きな堕落は過ぎました。それは完了です。そして今残されているのは、数においても規模においてもますます増え続けるであろう自然の大災害の時代だけです。そして、それから、反キリストが現われることでしょう。
警戒して下さい。もっと適切に言うなら、ロザリオを。あなたがまだ自分のそれを持っているなら。
L.S.
最も重要なことは、シスター・ルチアが
自分の教義を変えたということである
親愛なるホーヴァット博士
私は Novus Ordo Watch の記事から、インサイド・ザ・バチカン誌がミスラベルをしたと理解しています。この事実とあなたの推論を前にして、私は、より年長の(先頃亡くなった)シスター・ルチアの写真について、あなたの注意を引きたいと少しばかり思います。
彼女は眼鏡を掛けていますが、彼女の写真の頬の付近を拡大してよく見る時、彼女の目は遠視だったように思えます。ですから私は、眼鏡のことがシスター・ルチアの特定において一体どのような意味を持ち得るのか、と疑います。老人になった多くの人が、近くを見るために眼鏡を必要とするからです。私はこのことを、あなたにお伝えしようと思いました。
もしあなたが人々に義歯を提供している歯科医をご存知なら、あなたはその医者に、歯の形と長さの変化が人の自然な笑顔の構造を変えることがあるのかどうかを訊くことができると思います。私自身は手がかりを持ちません。しかし、ドロテア会修道女のシスター・ルチアの歯とカルメル会修道女のシスター・ルチアの歯は明らかに異なります。彼女が老年期になってどの程度容貌を変えたのかについては、私にはよく分かりません。しかし私は、下顎の輪郭はまったく変わっていない、と言わざるを得ません。
この問題の全体の中で最も大きな難問は、シスター・ルチアが1960年代まで一つの事を言い、そしてそれから何年も経ってから自分の考えを変えたということです。どのような理由でこのようなことになったのでしょうか? 考えられることがあまりに多くて、私達は本当の理由を知ることは決してできないかも知れません。私達はただ、そこには違いが存在する、ということが分かるだけです。
Yours, through the hearts of Jesus and Mary,
C.A.F.
親愛なるマリアン
このことはまた、何故シスター・ルチアはノヴス・オルドに出席したのか、あるいはまた、何故ファチマの聖地はノヴス・オルドによって支配されてしまったのか、ということをも説明するかも知れません。
本物のシスター・ルチアはどこにいるのでしょうか? この重大な不正の謎は深まるばかりです。
記事を書いて下さって感謝します。
In Maria,
S.G.
第三の秘密に関しても詐欺があります
親愛なるホーヴァットさん
私は今、シスター・ルチア1とシスター・ルチア2に関するあなたの記事を読み終わったところです。私はあなたの分析を非常に喜びました。それはとても良いです。あなたの洞察力に、おめでとう!
既にお読みになっているかも知れませんが、一冊の本をご紹介します。
「Le Troisième Secret De Fatima Publié Par Le Vatican Le 26 Juin 2000 Est Un Faux - En Voici Les Preuves…(2000年6月26日にバチカンによって公開されたファチマ第三の秘密は嘘である:証拠はここにある…)」
この本は Laurent Morlier によって書かれ、D.F.T. Editions からフランス語で出版されました。
もしあなたがフランス語をお読みになり、そしてこの本をお読みになる機会が今までなく、そしてお読みになりたければ、私はこの本をあなたに送る手配をすることができます。これは第三の秘密に関する完全な調査で、このメッセージが手を加えられた事実を明確に立証しています。
祈りとあなたの素晴らしいお仕事に対する感謝と共に。
Best regards,
F.H.
管理人注
[1] この写真のことでしょう。
[2] 「見て下さい」と言われても、ソースコードの羅列が出て来たと思います。これでは読みにくい。何故こうなっているかというと、やはり余所の過去のページをブラウザで読める形でアップすることに、気が引けたのでしょう(厳密に言えば著作権のこともあるでしょうし)。
ブラウザで読める形にすれば、問題の箇所は次のようになります。確かに「死亡: 31/05/1949」となっているのが分かります。
次に「訂正後」の、現在のものです。「死亡: 13/02/2005」となっています。
誤記載であり得る
「1949年5月31日」はシスター・ルチアがカルメル会で「終身誓願」を立てた日とされています。だから、私はこれはただの誤記載であり得ると思います。
つまり、サイト管理者の一人がシスター・ルチアの終身誓願の日付を死亡年月日の欄に記入してしまい、次いで2005年、所謂 “シスター・ルチア” が死亡した時に、同人あるいは他の誰かがそれに気づき、訂正した──ということだったかも知れません。
《ページ移動のためのリンクはにあります》
ページに直接に入った方はこちらをクリックして下さい→ フレームページのトップへ
inserted by FC2 system